DA PUMP DAICHIさんの脱退から、ヘルニアで高校野球を断念した当時を思い出した
腰椎椎間板ヘルニアに関する闘病日記を書き始めて、もうそろそろ1年になります。
私自身、この1年で生活が大きく変わり、身体の健康に対する意識と、この先の人生の過ごし方に対して、ポジティブにも、ネガティブにも向き合う時間が増えました。
そのような中で、先日、「長年の持病であるヘルニアの悪化により、DA PUMPのDAICHI、脱退&芸能活動終了」の記事がメディアに出ました。
DA PUMP メンバーのDAICHIさんのご本人のコメントは以下です。
この度、持病であるヘルニアの悪化によりDA PUMPを脱退させて頂くことになりました。
長年治療をしてきましたが、納得がいくパフォーマンスが出来なくなっていることを年々感じ、悩んできました。
僕にとってDA PUMPは自分の原点であり憧れでもあります。いつも応援してくださるファンの皆様、ステージで踊れるチャンスをくださる関係者の皆様、今まで本当にありがとうございました。
新曲「Dream on the street」では大好きなメンバーと一緒に踊れること、そして今までの感謝の気持ちを込めて最後までパフォーマンスをさせて頂きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します!
13年間本当にありがとうございました。DA PUMP DAICHI
非常に驚きつつも、とても辛い決断だったのだろうと感じました。
決して、他人事ではなく、言ってしまえば、明日は我が身ぐらいの思いです。
そして、過去に私も同じような決断をしました。
ヘルニアで、高校野球を断念した当時の気持ちを想い出した
私自身が、初めて、腰椎椎間板ヘルニアになったのは、高校2年生の秋でした。
当時は、高校野球に勤しんでおり、毎日、毎日、泥だらけになりながら、仲間達と切磋琢磨していました。
ところが、ある日、左足の太ももの裏、いわゆる、ハムストリングに突っ張りを感じました。
「ストレッチすれば良くなるだろう」
と思い、来る日も来る日もストレッチをしていましたが、いっこうに良くなりません。
むしろ、ハムストリングをはじめ、左足の足首あたりも力が入りづらくなってきたという感覚もあり、さらに、運動をしていなくても、痺れのような感覚を感じるようになってきました。
「これは、おかしい。どういうことなんだろう?」
と思い、整形外科に行きました。
ちなみに、その時点で、腰そのものは一切痛くありませんでした。
整形外科でわかった腰椎椎間板ヘルニア
足の痺れや力の入りにくさを伝えると、腰椎椎間板ヘルニアのチェックテストで有名なものをやりました。
(参照元:院内勉強会「腰椎椎間板ヘルニア」 | みよし市福谷町で整形外科なら三好ヶ丘整形外科へ ))
そして、レントゲンやMRIによる診断を実施。
結果的に、L5/S1の腰椎椎間板ヘルニアという診断になりました。
その後、保存療法をとり、さまざまなことにトライしました。
・針
・整体
・カイロプラクティック などなど
そして、その間は、野球は一切やらずでした。
高校最後の3年生に向けて、大事な秋から春に向けて、一切、練習ができずに過ごしました。
腰痛は、人生をかえる。そして、二度と回復しない
結果的に、保存療法でもよくならず、PLDDという手術に踏み切りました。
ちなみに、局所麻酔なので、めちゃくちゃ痛かったです笑
軽度~中度の椎間板ヘルニアに対して、局所麻酔下にて、1mmの針を刺し、その中からレーザーファイバーを通して、ヘルニア膨隆部を熱凝固収縮させる方法です。15分程で終了の日帰り手術
※ここで手術をしたわけではありません。
その結果、高校3年生では、野球ができずに、私の高校野球生活そのものが幕を閉じました。
小学校から野球をやってきて、その集大成と考えていた高校野球。
それが、腰の怪我により、断念するというのは、当時は、高校生であったこともあり、
「この先どうしよう?、何のために生きているのだろう?」
ぐらい悩み、落ち込みました。
その後、腰は良くなり、昨年手術するまでは、ヘルニアがあったことすら忘れるぐらい生活できていましたが、やはり、当時は、野球中心であったのと、それ以外の選択肢もみえていなかったので、非常に苦しかったです。
自らが、大好きで、愛してやまないものを手放す必要が発生した時の気持ちを、今回、DA PUMPのDAICHIさんの脱退から思い出しました。
DAICHIさんは、本当に苦渋の決断だったと思いますし、そして、今も痛みと戦っていると思います。
そして、腰は、一生ものです。
人の身体の要で、一度、痛めてしまうと、現代の医学では二度と同じようには戻らないものでもあります。
もうそろそろ2回目の手術から1年が経過します。
改めて気を引き締めて、リハビリと再発防止に取り組んでいきたいと思いました。